9月13日早朝に
最愛の母が亡くなりました。
享年91歳でした。

母の容態が急に悪くなり、
横浜市南部病院に入院して
55日目で肺炎にて・・・。

入院前は元気だったのに、
今でも信じられません。


(これより愚痴となる)


■ 横浜市大センター病院

7月から嘔吐が激しくなり、
掛かりつけ医の紹介状を持ち
市大へ行くも受付が終了した
ため明日となった。

その日の夜半から嘔吐が激し
くなり、急いで市大救命救急
センターへ連れていく。

連絡もしないで突然行った事
看護師からイヤミを言われ
が、我慢して母の検査結果
を待つ。
結果は原因不明とのこと。

その後、医者から空きベッド
が少ししかないので、他病院
を紹介するとの話があった。

家から近い市大に入院させて
もらいたかったが、港南台の
南部病院へ救急搬送された。


■ 南部病院

 
南部病院の検査で胃潰瘍と診断
されたが、担当医は最近異動し
てきたばかりの呼吸器系Dr。
消化器の医者と相談しての処置
となるらしい。

入院中、主治医からの説明が無
く1週間くらい音沙汰のない場
合もあった。
一体、何してんだろう。
消化器からの説明は一度もない。

 
嘔吐が激しいため、
IVH・マーゲン挿入で絶水食。 
その後、母は日に日に衰弱して
いった。
僕の顔を見ては「水が飲みたい、
何でもいいから食べたい!」と
言ってた。

病院は絶食の一点張りだった。
毎日、母の耳元で励ましたり、
痩せ細っていく身体を清拭や摩
ってあげることぐらいしかでき
なかった。
そのうち尿の出が少なくなり、
声をかけても頷くだけで、殆ど
寝てた。

母の病室は2人部屋の差額ベッ
ド(5000円/日)だったが、
清掃していないためか、ゴミが
アチコチに散乱
していた。

母に買ってあげた花瓶が倒れて
いてもそのまま

使用済みのゴム手袋なども放置
されていた。

母が背中が痛いと言うので見て
みると体温計が入れたまま・。

状況を説明しても、看護師達は
私じゃないと言い張る


嘔吐したものが寝巻きの背中に
まで付着していた時があった

既に乾いていた、見回りもして
くれていないようだ。

中核病院でこんなことがあって
良いものだろうか?


この病院には居られないと感じ
市大へ転院してくれるように頼
んだが、何時になっても紹介状
が来なかった。

飲まず食わずで、大した処置も
されないまま、入院55日で母
は肺炎で亡くなった。

まだ頭はシッカリしていたので
とても残念だ。

成仏してくれよ。

<富士山を臨む墓地>
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